九州 業務用食品卸 株式会社ハウディ

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創業者の回顧録

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私の人生:富永朔夫

私の人生:富永朔夫

昭和七年に熊本師範を卒業した中で、ただ一人途中から「商(あきない)の道を歩いた者としてこの五十年を振り返り、まとめておきたいとペンをとりました。

私は師範を卒業後、八代郡鮎帰小学校に奉職、昭和九年十一月満州国錦州省錦州小学校に出向しましたが、二度目の召集でチチハル第七四連隊に現地入隊し、終戦後は四年間のシベリア抑留生活を経験し、昭和二十四年復員致しました。三男と四男は、満州の収容所で栄養失調のため亡くなっていました。四年後に復員する時、妻は長男次男を連れて私の帰りを待っていてくれました。その時の妻の心中を思うと今でも胸が痛みます。私は復員したものの、食べていかねばなりません。子供は教育していかねばなりません。そこで田舎から熊本市東子飼街町に出て、昭和二十七年に食品製造販売業の「錦商会」を設立、人口甘味料の製造を始め(小売店)(婦人会)(学校給食)へと納品を始めました。この当時従業員はアルバイト学生を含めてわずか五名でした。

初めは自転車で営業を行い、それが単車に代わり、ミゼットから軽四輪車、それから1トン車へとまさに一歩一歩階段を昇るような「商(あきない)」をしてきました。事業を始めた当初は、私が県下の学校や工場、社員食堂や婦人会などを訪問して注文をとり納品する仕事を担当、妻は経理を担当するという、裸一貫二人三脚のスタートでした。

小さな商(あきない)を二〜三年続けているうちに、学校ではミルク給食から次第に「おかず」なども付いた完全給食に発展し、それにつれてお蔭様で当社の業績も一年一年と次第に伸びて参りました。創業から六年後(昭和三十三年)には社名を「熊本県学校給食弘済会」と改名、また三年後には有限会社に改組し、学校給食商社として熊本県下の学校給食用食材専門の卸売業務を行うことになりました。さらに三年後(昭和三十九年)には「株式会社給食弘済会」と社名を変更し、一段の発展を期して坪井三丁目に事務所と倉庫を建設、本社を東子飼町から移転いたしました。この頃の十年間は親子ともども、会社らしい会社にするため日夜休むことはなく働きつづけ、また社員もよく頑張ってくれました。

 二人の子供もいつのまにか大学を卒業して、私を助けるために入社してくれました。やっと私なりに飛躍の第一歩と踏みだすことが出来たなあと思えたのは、創業から十二年が経った昭和三十九年頃でしょうか。この頃が社長としても、二人の親としても、生活が安定し心のゆとりができた時期ではなかったかと思います。社員も二十数名となり坪井の事務所が次第に手狭となったため、熊本市上熊本に土地を購入し、昭和四十三年に本社新社屋と倉庫を建設移転しました。

一方、この頃全国の有力な業務用食品問屋で組織する「日本給食品連合会」に入会したことによって、積極的に情報交換や勉強会を行いながら、全国的な広い見地で物を見るという意識高揚ができ、産業給食や病院給食、弁当屋を中心に市場を広げる事が出来ました。この時期は給食弘済会として、名実共に業務用食品問屋として躍進し、成長した時期ではなかったかと思います。事業としては、上熊本の本社を中心に福岡県下にも進出するため、昭和四十五年久留米営業所を開設、翌四十六年には坪井に業務用食品センターの「トミー」を開設し(ホテル)(レストラン)(食堂)(仕出し屋)(惣菜店)などの外食産業分野にも進出を果たしました。昭和五十七年鳥栖市九州卸売センターに事務所と倉庫を建設し「九州北営業所」としてスタートしました。

上熊本に本社を置いて十年を経過した昭和五十二年には、業務拡大に伴って再び事務所が手狭となり、事務所を増築、同時に内部の機能強化を図りつつ、営業範囲を九州一円に拡大することを決めました。この流れに沿って九州内の同業者に呼びかけ、昭和五十五年に九州農政局の認可をいただいて「協同組合九州給食会」を設立し、協業組織として共同仕入、共同販売を実施しながら、サービス面で九州一円の「業務用食品」の流通ネットワークを整備することができました。さらに九州にとどまらず全国で外食産業を得意先とする全国の同志とともに「全日本外食流通サービス協会」を設立し、全国規模で情報交換や事業推進を行いながら外食産業部門の強化拡充を図っております。また、物流機能を強化し将来に向かっての発展拡大をめざすため、昭和六十三年には、熊本市流通団地に二千三百坪の土地を購入して「本社物流センター」を建設。二十一世紀に向かって躍進するため物流機能の強化を図りながら、売上げ「百億円企業」をめざして社長以下全社員が奮闘努力しているところです。

私がこれまで五十年間営業を続け、この業界で生き残ることができたのも、また「昭和五十九年、勲五等瑞宝章」の栄誉を賜ることができたのも、多くの方々のご支援ご協力の賜物と深く感謝の心を忘れず、これからの人生はご恩返しのつもりで、業界発展のためと会社発展のためにお手伝いをしていくつもりで頑張ってまいります。いまや私は会社の実務を離れ、社長は長男に譲って会長として過ごしております。

五十年 間の「商(あきない)の人生」を振り返ってみると「信用」「努力」「感謝」この三つが如何に大切であるかを味わうことができて、幸せな人生であったと改めて感謝しております。

最後に九州給食会会員の皆様はもとより、ご家族のご健勝とご多幸をお祈り致します。

平成四年六月吉日

追伸 教員を退職して、昭和十五年から昭和二十年召集を受ける迄の五年間は、満州国錦洲省阜新市「阜新興業株式会社」に勤務していました(義父経営の会社)。

※株式会社給食弘済会は平成6年に株式会社ハウディに社名変更しました。

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